働かずに稼ぐのは悪?

ほとんどの人たちに共通している価値観の一つに「仕事=労働」があります。
社会人になったら人生のほとんどを労働に捧げることが当たり前、
週休は2日、一日8時間でも10時間でも汗水垂らして働きます。
労働を頑張れば頑張るほど「偉いね」と称えられたり、少し給料が上がったり。
常識を信じる人たちにとって、
常識に忠実に従う人は、見ていて気に障ることがないのです。

 

だからサービス残業をすることになっても、
当たり前のように有休がとれなくても、なんとなく耐えてしまいます。

 

でも、このブログでも配信しているように、仕事に縛られず自由に生きていくとなると、
必然的に「仕事=労働」という価値観自体を改める必要がでてきます。
あなたが、この大多数の人が生きている労働の世界から抜け出す頃には、
「ちゃんと働けよ」「まともな仕事をしろよ」と言われるかもしれません。
彼らは自分と同じくらい、またはそれ以上に汗水垂らして「労働」していない人に対して不満を持つらしい。
その対象はニートだけではなく、労働以外で収入を得ている人、裕福層なども含まれているのは、やっぱり労働が絶対視されているゆえんだなと思います。
(たとえその人が見知らぬ人で、未来永劫に渡って関わることがないとしても非難したりする)

 

お金は「汗水垂らして労働した対価として得るもの」と勘違いしているから、
お金持ちは何かずるをして稼いでいると思ったり、
「自分はこんなに頑張っているのに・・・・」と嘆いたりするのです。
もし心当たりがあるなら、その考えを改めない限り自由が遠ざかったままになってしまいます。
あなたが一生懸命働くこと、つまり労働そのものではなく、
あなたが働くことによってサービスが向上したり、商品に需要が生まれたり、景気が良くなったりすることに意味があり、その報酬としてお金が発生します。
つまりお金は「与えた価値の対価」として得られます。

 

ここが理解できれば、価値を与える手段はあなたが毎日8時間、会社で労働することだけではないとわかるはずです。

 

Amazonのように、ネットショッピングを作ってくれる人がいるお陰で、わたしたちはわざわざ店舗に行かなくても、端末からすぐに商品を購入することができて、
マンションを建ててくれる人がいるお陰で、わたしたちは何千万とかけて家を建てる必要もなく家に住むことができて、
ホテルがあるおかげで、旅先でも気兼ねなく泊まることができるのです。

 

そうやって世の中を便利にしてきた人たちも同じように、価値の対価としてお金を受け取っているだけです。
労働せずにお金を得たからといって非難される筋合いなどないし、
逆に言えば裕福層であればあるほど、社会に多くの価値を提供していることになりますからね。
裕福層に妬み僻みを言っている人たちよりもよほどたくさんの価値を生み出しているわけです。
彼らが作ってくれたシステムが無ければ、現代はこんなに便利になっていないと思います。
わたしたちはむしろ、労働しなくても価値を生み出せるようになったほうが社会を豊かにするし、自分も自由になることができます。
わざわざ他人が信じている労働という常識を手段にするのではなく、積極的に労働から離れていくべきだと思います。

 

社会に価値を、とか言ってますけど、別にいきなり大規模なことをする必要は無いと思ってます。
自分がやりたいことをやりたいようにやらなければ結局仕事がつまらないものになってしまいますし。
今回はお金がなぜ得られるのかを知ってもらえればそれでいいです。

 

p.s.先日、少し遅くなりましたが成人を祝ってきました。
成人式も行かなかったのでせめて写真でもと、母の36年前の振袖を受け継いで。
本当に美しい振袖でした。親子で着れて嬉しいです。

成人とか、誕生日とか、何かの記念日を祝うのは素敵なことです。
でもわたしは「その日だけ特別」とは思わなくて、
今こうしている時間もあっという間に過去になっていくので、
一瞬一瞬を悔いのないように生きなければなと思います。
人生、悔いのないようにゲームしなくては!!!!

 

それでは。

 

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働かずに稼ぐのは悪?” への2件のフィードバック

  1. こんにちは。

    ご成人おめでとうございます。
    素敵な写真ですね。

    今回の内容は、とても考えさせられますね。
    仕事をしていること自体がルーチンワーク化し、その結果、
    お金は「汗水垂らして労働した対価として得るもの」と勘違いしてました。

    そんな考えを改める、いいキッカケとなりました。
    ありがとうございます!

    1. コメントありがとうございます^^
      お金が何の対価であるかというのは色々な意見があります。労働の対価だと言う人もいますし。
      でも労働の対価であれば、会社の指示で両手に水入りバケツをもって歩き回るだけでも成り立ってしまいます。
      だから労働そのものに意味があるのではなく、労働によって生まれた価値に意味があるのだとわたしは思います。

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